年度 期日 山 域 メンバー 形態 ルート コメント
1998年 9月 新潟 川内山塊 6名 宴会釣行 早出川 本流 初日にスズメバチ7発の襲来を受け、その夜は地獄のような苦しみでダウン。メンバーは宴会で大盛り上がりだったが大雨で敗退。
1997年 9月 新潟 川内山塊 7名 宴会釣行 早出川 割岩沢 やはり殆ど水線を行くような沢で、ジッピを越して魚止までつりあがって終了。ここでテンカラ毛針の魅力を知った感じ。
1997年 7月 新潟 川内山塊 6名 宴会釣行 早出川 杉川 泳ぎ中心のゴルジュ突破スタイルの沢。握り寿司、手打ちうどん、テンプラと贅沢三昧の天国のような暮らし。
1993年 1月 黒伏山 遠藤 遊佐 大石 
坂野
冬季登攀 南壁ダイレクトルート 多くのピッチを遠藤さんがリード。4泊5日のビッグクライミング?の末の冬季初登だったが、残念ながら私の出番は殆ど無かった。南壁は悪天候だったのでむしろ濡れずに済んだ
1986年 8月 剣岳 坂野
江村
クライミング 源次郎尾根、中央ルンゼルート〜成城大ルート 岩の殿堂、剣岳。明るくてフリクションも良く、快適な好ルートの継続は手ごたえ十分。
1983年 6月 黒伏山 単独 南壁中央ルンゼルート 所要時間3時間半。一部はロープなしで登る。
1982年 5月 穂高 坂野
荒井
継続登攀 上高地〜西穂山荘〜滝谷出合〜第四尾根〜前穂四峰松高ルート〜前穂高〜奥又白〜上高地 安房峠が通行止めで西穂山荘を越えて滝谷出合へ。松高ルートで突然の風雪に閉じ込められてシュラフもツエルトも無い雪洞でのビバーク。ひどい風雪の中、ヘルメットで必死になって雪洞を掘った。
1981年
〜10月
インドヒマラヤ 6名 遠征登山 トリスル1峰(7120m)西壁ユーゴスラビアルー 西壁ユーゴスラビアルートの第2登で隊員4名が登頂。この年のインドヒマラヤは悪天候に見舞われ、日本隊全体で5隊、15名の日本人犠牲者が出てしまった。
5月 後立山 坂野 二瓶 三浦 継続登攀 帰不2峰Aリッジ〜五竜東面〜鹿島槍北壁正面ルンゼ東尾根下降 ヒマラヤ遠征の為の鹿島槍集中合宿。主稜パーティーは逗子開成高校の遺体を発見。その後全員が発見された。
1月 岩手山 坂野
荒井
冬季登攀 鬼ヶ城西壁 本峰バットレスルート 岩手山の寒さは中途半端な寒さではなかった。シュラフなしのツエルトビバークは辛い修行。
1980年 1月 穂高 坂野 二瓶 三浦  縦走登山 北鎌尾根〜北穂〜奥穂〜西尾根〜新穂高 春2回冬の北鎌尾根2回目でようやく完登。北鎌尾根以上に緊張したのはキレットから北穂高岳への氷化した斜面。
1月 焼石 坂野 二瓶
三浦
冬季登攀 正面ルンゼ 黒伏山南壁と比べると雪が少なくて夏とあまり変わらない人工登攀ルート。
1979年 5月 利尻山 佐々木  八嶋 坂野 クライミング 西壁 中央リッジ 殆どが雪壁登りと、上部のブッシュ登りに終始。しかしオホーツク海を眼下に見ると気分は最高。
8月 穂高 坂野
八嶋
クライミング 屏風東壁ルンゼルート 下部岩壁からダイレクトに抜けるロングルートで、登り応えのある好ルート。風化しているピッチもあるがワンディで横尾に帰着。
1月 穂高 坂野 土居 三浦 縦走登山 北鎌尾根敗退 新人が北鎌尾根第一岩峰で300m滑落し足を骨折。苦闘の2日間、二人交代で背負って湯俣迄で降ろした登山人生で唯一の事故。
1978年 9月 越後駒ヶ岳 4名 クライミング 金山沢奥壁 ヴィクトリアフェース 快適なスラブの後は長い垂直のブッシュ登りが辛い。下降はガスに覆われ方向不明。てカンを頼りに何とか舞い戻る。(上部のみ)
1月 黒伏山 坂野
土居
冬季登攀 南壁ダイレクトルート敗退 赤い大ハングから下部岩壁のみ完登で時間切れ。まだまだ実力不足でした
1977年 7月14〜15日 黒伏山 坂野
高橋
クライミング 南壁ダイレクトルート開拓 赤い大ハングを突破してダイレクトルートを初登攀。下部岩壁で1回だけハーケンが抜けて大胆にフォール(上部ルート6月14〜15日 坂野 八嶋)
8月 越後駒ヶ岳 坂野
佐藤
沢登り オツルミズ沢 登攀的要素が多く自分では好みの明るい沢。サナギ滝出口はクラックのフェースクライミング。
3月 利尻山 坂野
土居
冬季登攀 南稜敗退 本峰手前のローソク岩をアップザイレンしたところでギブアップ。天候不良で雪洞ビバークしたが無念の敗退。
1976年 10月 山寺 坂野
八嶋
クライミング 材木岩ルート開拓 いちおう初登。山寺駅から仙台方面に少し行った左手に見える岩場。浮石だらけの4ピッチ。
5月26日〜6月5日
パキスタン、カラコルム
 佐々木  坂野 トレッキング スカルド〜チョゴルンマ氷河方面往復 スパンティーク峰、マルビデイン峰方面へのトレッキング。ビンボーの為まともな食料が調達できず、辛い思い出ばかり。
12月19日〜2月8日 ネパールヒマラヤ  松島   佐々木 村上 戸部 坂野 マカルー方面シンプトン峠〜ナムチェバザール〜エヴェレストBC〜ローツェBC〜チョウユーBC方面 東ネパールからクンブヒマラヤへの51日間に及ぶトレッキングツアー。現在では許可を取る事も困難と思われる貴重な思い出。 
1975年 11月30〜12月13日 佐々木、 松島、坂野 ランタン谷トレッキング  ランタン部落よりランシサまで。未踏のランタンリ峰(7205m)を目指し、単独での試登を試みて消息を絶ったた仙台山岳会の創設者、故今泉氏の墓標へ。
1975年 8〜10月 ネパールヒマラヤ 9名 遠征登山 アンナプルナサウス(7210m) 敗退 北峰の初登頂を目指したが、ナイフエッジの突破に時間を費やし、5600m地点で敗退。イエティ?の足跡を発見して新聞に掲載される。
2月 焼石 坂野 高橋
八嶋
冬季登攀 サル岩 KGカンテ 現地で食料を忘れてきた事が判明。行動食と一升ビンだけ持って取り付き、完登後に頂上でビバーク。
1月 黒伏山 9名 冬期登攀 南壁中央ルンゼ(固定ロープを使用) 遠征の為の訓練合宿。核心部までトップでルートを開いたが、後続隊にバトンタッチして冬期第3登を取り逃がす。今でも悔いの残る忘れられない山行。
1974年 8月 穂高 相沢
坂野
クライミング 屏風東壁、雲稜ルート 豪快ですっきりした好ルート。人工登攀の醍醐味を初めて知った気分。
7月 朝日連邦 6名 クライミング 障子岳東面スラブ開拓 どういう訳かヒマラヤの訓練合宿。いわゆる「ドタ靴」でスラブを登る。第1スラブ、センターリッジ、第3ルンゼを初登。壁は花崗岩の快適なルート。
1973年 5月 穂高 高橋
八嶋
坂野
縦走とクライミング 北鎌尾根〜滝谷ドーム西壁 北鎌尾根はしっかりとステップが切られており、まるで階段を登っている様な状況。ドーム西壁は快適なミックス登攀
1972年 8月 剣岳 佐々木
松島
坂野
クライミング チンネ左稜線 岩の殿堂、剣岳を代表するクラッシク好ルート。雷で身に付けたガチャはジンジン鳴っていた。
7月 黒伏山 今村
坂野
クライミング 南壁中央ルンゼ 4度目のトライで始めての完登。初めて核心部を突破したときは感動ものだった。
5月 飯豊連峰 柴田
坂野
縦走 長者原〜温身平〜石転び沢〜北股岳〜大日岳〜飯豊本山〜ダイグラ尾根〜長者原 初めての残雪期縦走登山。ダイグラ尾根下降後の腰まで浸かる桧山沢の渡渉は実に辛かった。実はつり橋が通行不能とは知らなかった。
1971年 11月 二口 坂野
鈴木
沢登り エシコ沢 ワンゲル時代の無断個人山行。大滝を越えた辺りからワラジ履きで膝下の辛いラッセル山行。
9月 朝日連峰 3名 縦走 針生平〜平岩岳〜大朝日岳〜寒江山〜伊東岳〜大鳥池 40Kg近いキスリングを背負っての朝日連峰全山縦走。楽しい思い出だけであまり辛かったと言う印象が無い。
8月 飯豊連峰 15名? 縦走 大石〜頼母木山〜門内岳〜北股岳〜御西岳〜大日岳〜飯豊本山〜三国岳〜川入 夏合宿で飯豊連峰の全山縦走登山。1週間かけての登山だったが、朝は2:00AM起床。どういう訳か12:00AMには登山活動を終了していた。
5月 二口、蔵王 15名? 縦走 山寺〜大東岳〜本小屋〜山形神室〜雁戸山〜名号峰〜刈田岳〜後烏帽子 ワンゲル部新人歓迎山行という名のシゴキ訓練合宿。OBは途中からサブザック一つで参加してゲキを飛ばしていた。


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