ランタン谷トレッキング(ネパール) 1975年




ランタンリ (7205m) 南西稜 ネパール ※ペンション.ラリーグラスさんサイトから転載



 この記録は1975年、アンナプルナサウス(7210m)登山にあえなく敗退し、その当時学生だった自分がその後同じメンバーの佐々木氏、松島氏と歩いたトレッキングの記録です。記録といっても当時のメモ帳を記載しただけで、今では殆ど記憶も有りません。したがって単なる日記の断片でしか有りませんので、自分にとっての単なるメモリアルで内容はあまり面白くは有りません。

 現在のネパールトレッキング事情は知りませんが、何しろ31年も前のトレッキングなので、当時の状況とは少し隔たりがあると思われます。最近はヘリでのアプローチが常識になり、立派な設備のロッジが建ち並ぶ。ヒマラヤの雄大な山並み、美しい渓谷には当時とは比較にならぬ多くのお客さんが詰めかけている様です。当時はかなりビンボーな境遇だったが、出来ればもう一度リッチな気分で再訪したいとも思う。

 なお、ここで名前が登場する故今泉氏とは、当時自分が所属していた山岳会の初代会長で有る。1972年に会員と共にランタンリを偵察、試登した後単身ネパールに残り、翌年になんと単独で再チャレンジした。ランタン氷河の再奥部に位置し、チベットと国境を接するこの山は当時未踏で、その後もしばらくネパール政府の許可が下りなかった。ようやくネパールとの合同隊として許可され、1981年10月10日、日本ヒマラヤ山岳協会隊(主力は長井山岳会)が初登頂をはたした。。ちなみにこの隊にはあの山田昇氏が参加している。

 写真を見ると初登ルートの南西稜は素晴らしいスカイラインを描き、不思議な魅力を秘めた素晴らしい雪稜ルートに思える。氏はこの美しい未踏の山の魅力に心を奪われ、残念ながら帰らぬ人となってしまったが、このトレッキングは静かにたたずむ墓標を訪ねる旅でもあった。


 山 域 ネパールヒマラヤ ランタン谷
 山行日時 19751130日〜1213
 メンバー 佐々木 松島 坂野
 行 程 カトマンズ〜トリスル〜シャブルベンシ〜シェルパゴン〜コラタブラ〜ゴラタベラ〜ランタン〜キャンジュンゴンパ〜シャブルベンシ〜トリスル〜カトマンズ

 
1130日 カトマンズ〜トリスル

10時宿泊先のエキスプレスハウスを出発。トリスル行きのバスは、30分おきにソロコティを発つと聞いていたが、実際はPM1:00しか出ない。

AM12:50にバスはカトマンズを出発し、70kmの砂利道を5時間かけてPM5:00トリスリ着。(バス代9RS)途中トリスル手前のチェックポストでパスポートを提示し、ノートにサインしてバス停近くの宿に泊まる。すると近くの子供達が寄ってきて、10人ほど我々をじっと見ている。今日の夕食は久しぶりのタルカリ2Rs(¥40位)

121日 トリスリ〜ラムチェ

AM700起床。チャパティで簡単な朝食を済ませ、すぐさまトレッキングを開始する。バザールを通りすぎて2つ目の橋を渡って小学校まで行くが、手前の橋を間違えて渡ってしまい1時間20分ほどのロスをしてしまう。途中の露天でドッチボール程もあるグレープフルーツのような果物を買う。一個50パイサ(2円)。ベトラワチでトウモロコシで作ったチャンを買い求め、ほろ酔い加減で歩いているのでなかなかペースがはかどらず、今日の予定をあきらめてPM6:00ラムチェ手前の茶店に宿を取る。しかし茶店のタルカリは飯に石ころが入っていて肉が硬く、とてもまずい。

122日 ラムチェ〜ドンチェ

 AM830ラムチェを出発し途中のチェックポストに寄り、近くの茶屋によってミルクテーを飲む(50パイサ)。PM500ドンチェに到着し、チェックポストによってサインをする。ニッカウィスキーの小ボトル程のような、パイナップルワインなるものを買って飲む。甘ったるいがこれが意外とうまい。

123日 ドンチェ〜シャブルベンシ

 AM900ドンチェを出発。つずらおりの道を登って行くが、村をでてすぐに道を間違えてしまい、まっすぐ川に下りたらその先は廃道になっていた。戻ろうかと考えたが、意を決して藪をこいで沢を渡渉し、獣道を這い上がるようにして遥か上の上の元の道に戻ることが出来た。この間2時間のロス。この先に村があるが茶屋は無く,あまりにお腹が空いたので,大変貴重なカトマンズの肉屋で買った大きなサラミソーセージをかじる。PM400シャブルベンシに到着し、辿りついたロッジでタルカリをおもいっきり食べる

124日 シャブルベンシ〜シェルパゴン

 AM845シェルパゴンを出発。チョルテンの門をくぐって村を出る。急な尾根を上り詰めると突然視界が開け,目の前にヒマラヤの大きな山並みが姿をあらわす。ガネシュ1峰、2峰,6950峰が見渡せるすばらしい大パノラマに感動してしまう。ガネシュの西面鋭く切れ落ちた壁になっており,右側には長い尾根が続いている。

 PM400、付近にロッジが無いので今日は民家に止めてもらうことにする。ここはチベッタン部落のためにネパール語は通じないらしい。8畳くらいの粗末な土間敷きの部屋に家主,奥さんの二人,子供6人がいっしょに住んでいる。タルカリとライスを注文したが,なかなか食事の準備に取り掛かろうとせず,1時間程してからやっと米を炊き始めた。何処からか米を買って来たのだろうか?今日はチャンもロキシーも無く,卵も無ければダル豆で作ったスープ)もない。

125日 シェルパゴン〜コラタブラ

 朝食はツァンパ(シェルパの主食の麦焦がし)にココアを溶かしたスープを飲んだが,粒が粗くてとてもまずい。とても食べられたものではない。今日の彼らの朝食はトウモロコシを煎っただけのマカイのみ。お茶が欲しいがここには無く呑めないのがとてもつらい。目を覚ましてみると突然奥さんが箒で掃除を始め、朝日が家の中に差し込んだとき,家の中が粉塵だけになっているのに気が付いてびっくりしてしまう。慌てて水筒の水でうがいをしてヴィックスの飴をなめた。昨夜、チベッタンの家の主に日本の緑茶を飲ませてみたが、だいぶ怪訝そうな顔をして少ししかお茶を飲まない。

 AM800出発。めしとタルカリ,5Rs(¥20位) ツァンパ(3人分)2Rsを支払った。ランタンコーラの右岸をトラバースしながら、同じような景色の道をのんびりと歩く。途中に公園管理事務所という立派な建物によって一服する。この辺はまるで上高地か徳沢を歩いているような,きれいな枯葉のちったきもちの良い木立がどこまでも続き実に気分がよい。管理事務所も小奇麗な木造の建物で、何かここだけがヨーロッパアルプスの山小屋に舞い込んだような感じ。

 PM200ゴラタブラに到着。ここにはカンバ族(チベット難民の武力集団)が経営しているロッジがあり,ここに宿泊することにする。ヤクステーキ(水牛のステーキ)とツァンパ,それとロキシー。これだけでとても幸せな気分になってくる。

126日 ゴラタベラstay

 8:00AM起床。チィベタッンブレッドを食べて出発するつもりだったが,相棒の佐々木氏が何と無く今日は寝ていたいと言い出し今日は出発中止にし、ネパール語講座のコピーを見ながらネパーリーの勉強をしてヒマを潰す。

 昼頃になるとヘリコプターが飛来し,ランタンコーラ右岸の上部をすれすれに旋回して隣のヘリポートに着陸した。どうやら我々とは身分の違う、金持ちトレッカーさんの一行の様だった。

127日 ゴラタベラ〜ランタン〜キャンジュンゴンパ〜エアポート

 AM900ゴラタベラを出発し,ランタン村には2時間30分ほどで到着。村のすぐ裏に巨大なランタンリルンの山並みが迫り,圧倒的な迫力にしばし呆然として見とれてしまう。思わず村の裏から登れそうな錯覚に囚われて登れそうなラインを目で追う。しかし南面は頂上から急に切れ落ちた氷の壁が続いてかなり難しそうなルートに見える。

 ランタン村から1時間30分で広いランタン谷の中央にある飛行場に到着し、屋根の無くなったカルカ(放牧小屋)の後にツェルトを張り今日の宿とする。近くのチーズ工場を見学に行ったが、スイス人が造っただけあって立派な工場だった。ナチュラルチーズの塊を買い求め、久しぶりの貴重な蛋白源を得た。廻りは一面広い草原になっており燃料となる木が手に入らず、ヤクの糞を集めてまきの代わりにしてインスタントラーメンを作る。最初は火の付が悪いが、燃え出すともうもうと煙を上げながら燃え続ける。

128日 エアポート〜ランシサカルカ

 ランシサ手前のカルカに荷物をデポし、ランシサリ手前の4200mのサイドモレーンまでピストン。ここで3年前ランタンリ(7205m)に単独での登頂を試み,その後行方不明になった仙台山岳会会員の故今泉氏のケルンを探す。なんとも無謀な試みと思われるが、結局行方不明となって帰らぬ人となってしまった。3年前エベレスト街道で日本人客相手にガイドをしていた様で、ここで一緒になったという佐々木さんは、ケルンのある位置を見事に探し当て,ラム酒を備えて写真をとった。

 ここからは残念ながら目的のランタンリは望むことが出来なかったが
,対岸にランシサリとビックホワイトピークの見事な雄姿を仰ぎ見ることが出来て充分な満足感を味わうことが出来た。
今回のランタン方面のトレッキングはここが最終地点となってしまうが,美しいランタン谷の魅力を満喫することが出来た。                 

129日 ランシサカルカ〜ランタン部落〜ゴラタベラ

 AM9:20分ランシサを出発。今朝はかなり冷え込んでマイナス10度をさしている。帰路は下りだけなので快適に飛ばしPM300ゴラタベラに到着する。

1210日 ゴラタブラ〜シャブル

カンバ族の茶店でチャイを飲み目玉焼きを食べる。坂野 松島が先頭に立ち,佐々木氏が後を追う。しかし途中の道ででばらばらにはぐれてしまい,佐々木氏がいくら待ってもやってこなく茶店まで引き返してイギリス人に聞く。川沿いに分かれて下る道がありそこで別れたらしいく、またきた道を戻って再びシャブルへ向かう。坂道を600mほど登り返させられ、メロメロになりながらシャブルに到着する。シャブルのロッジで2時間ほど待っているとやっと佐々木氏が到着した。

12月11日 シャブル〜ドンチェ

 AM900ベンシを発ちドンチェに向かう。今日は谷に下らずトラバースしながら進む途中,運悪く蜂に刺されてしまい、見る見るうちに顔中が晴れ上がってしまう。PM200ドンチェに到着。

12月12日 ドンチェ〜ラムチェ〜べトラワチ

 AM9:10分発。ラムチェを通り越してベトラワチまで走るようにして下る。2人連れのアメリカ人とさいかいし、ここでは大変貴重なビールを買い求めて飲む。

12月13日 ベトラワチ〜トリスリ〜カトマンズ

 2時間でトリスリに到着。ここからはカトマンズ行きのバスが出ており,PM145発のバスに乗り込みカトマンズを目指す。PM630カトマンズ着。3人でツクチェピークホテルに立ち寄り2週間ぶりにレストランでの食事を楽しんだ。