イエティの噂話


1975年10月27日 ネパールヒマラヤ アンナプルナサウス C1(5300m付近)


■ 「ヒマラヤのイエティ 正体はヒグマ」 説について

 皆さんは「イエティ」といえばどんな事を想像するでしょうか?かつてはUMA(未確認生物)と呼ばれて、一部の雑誌などで取り上げられて話題に上った事もあったが、その多くは実際の目撃者とか実地検証を試みようとするイエティ探検隊では無い方々の論評が大半を占め、何となく想像が一人歩きして多少食傷気味の感があった。何となく安っぽくて少しいかがわしい印象がまとわりついてしまい、何時の間にか世間から忘れられた存在になっていた。しかし最近「イエティ」に関する話は最近殆ど聞かなくなってしまったが、あるサイトをみて昔の記憶が蘇り昔の記録を辿ってみる事にした。

 そのサイトとは、「Web東奥・特集・ヒマラヤの雪男の正体はヒグマ」http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/higuma/index.html。その内容は作家であり登山家でネパールヒマラヤに精通する根深誠氏による新聞社の特集記事で、長年のイエティの研究についての最終結論とも言える大変説得力のある興味深い内容であった。 1973年から登山や調査のためヒマラヤ各地を歩いた根深氏は、雪男についての言い伝えや証言を集めた上、「雪男の足」の資料を専門家に鑑定してもらい、ヒグマの仲間だと結論付けた。氏はイエティの現地取材を基にした調査結果を集大成し,雪男は欧米などの登山家がヒマラヤ登山の資金集めに利用した側面があり《雪男は先進国の幻想。もうこのロマンに終止符を打つべきころでは》(Yomiuri Online から引用)とのことである。

■ 2003年イエティ捜索隊

 
この根深氏の記事が掲載される1ヶ月前の2003年8月10日、ネパールヒマラヤのダウラギリ山郡に向けて「2003イエティ捜索隊」が日本を出発した。目的は過去何度かこの周辺で目撃されているイエティの足跡を追い、赤外線感知のスチールカメラ、およびビデオなどのハイテク機材を持ち込んでの撮影を試みた。しかもこの捜索隊のメンバーは只者では無かった。事務局と派遣母体は日本ヒマラヤ協会で、隊員は群馬岳連の大御所で、冬期アンナプルナ南壁、冬期エベレスト南壁を初登攀に導き、世界トップレベルのクライミングをなし遂げた八木原圀明氏、ヒマラヤ登山20回以上の経験を持つ日本ヒマラヤ協会の飛田和夫氏、ヒマラヤ登山家で1994年のダウラヒマール・イエティ捜索隊の隊長を務めた高橋好輝氏など、日本を代表する面々で組織された強力な隊であった。http://www.everest.co.jp/yeti2003/

 しかしこの確信に満ちた捜索隊の活動にも関わらず確証的な結果は得られず、テレビ朝日のドキュメンタリー番組で取り上げられたが、僅かに何日か前と推測されるような「足跡」の様な物を撮影して終了した。この地域は30年程前から何度か足跡の発見が報告されており、日本隊の発見報告も多かった事からかなり有力視されていた地域だったが、またしても謎の部分を残したまま永遠のテーマとなってしまった。

■ 私の印象

 このようにまるで対極をなす様な出来事が日本人により前後して成されたが、結局この「イエティ論争」に終止符を打つ事はできず、私を含めた肯定派にとっては未だに期待を膨らませる結果ともなった。今回は両者ともヒマラヤ登山の権威でネパールについては精通されている方々だけに、単なる物見有山的な行動や発言では無く、かなり本気で取り組んだ結果と思われます。最近世間で「イエティ」の関心はかなり薄くなり、マスコミ媒体でも取り上げられる事も殆どなくなりましたが、私も発見当事者としての立場から未だに関心を持ち続ける一人です。

 イエティについてはヒマラヤンブラウンベア(ヒグマの仲間)、オランウータン、ギガントピテクス(猿人)の生き残り、ネアンデルタール人の生き残り、未知の霊長類などがイエティ正体ではないか?・・・と、言われています。私としてはその何れかと断定する事は出来ませんが、少なくてもその何れかの様な物が、確かにその痕跡を残した事だけは断定することが出来ます。つまり「存在する」事を前提にこのサイトでは資料を公開して行きたいと思っています。

■ 1975年 日本アンナプルナサウス遠征隊 

 今から30年も前の話なのでいまさらニュース的な価値は全く有りませんが、当時「河北新報」という宮城県の地方紙に掲載された、いわば埋もれてしまった記事になった事がありました。この登山隊は仙台山岳会のメンバーを中心にして、仙台の社会人山岳会のメンバー9人による隊で、当時アンナプルナサウス北峰(7200m)の初登頂を目指してアタックを行った。しかし結果的にはルートが余りにも困難で、5800m地点を最高点に退却を余儀なくされてしまった。

 
 問題の足跡はこのルート上のC1(5200m)地点付近に有り、10月27日、高橋隊員によって発見されたものであった。ルート工作と荷揚げを終えて隊員の殆どが休養の為BCに下る事になったが、高橋隊員だけが体調不良で一人1日遅れで下ることになった。そのためその日はC1に一人で泊まり翌朝を迎えた。翌日の早朝外に出た所、C1の少し上部のルート上を横切る様にして何か足跡のようなものを発見した。その後BCからC1に上がって来た私が高橋隊員と共に現場確認を行った所、尾根の北側のアンナプルナ氷河側からルート上の雪の尾根を乗り越え、南側のガネッシュ氷河側へとトラバースしている事が確認された。

 尾根の両側は標高差1000m以上の雪と岩のミックス壁で、傾斜は60〜70°程は有ると思われ、登山者でも登攀用具が無ければ登下降することは出来そうにも無い。増して登りならいざ知らず、下りはなお難しいと思われる。足跡は4本足の動物とは異なり、直線を描いて左右のぶれは殆ど見られない。しかも歩行間隔はほぼ1m有り、足跡の大きさは30cm程に見える。当初は鳥の歩いた跡かとも思ったが、足跡の大きさとその深さ(15〜20cm程と思われる)から見てこれは違うと思った。

 ただし残念な事に夜間に風雪の為少し足跡が埋まってしまった事と、撮影を行った頃は発見してから5時間程経ってしまい、雪も少し解けて明瞭な足跡の写真を納める事は出来なかった。

■ 写真の分析

 専門家ではないので全く素人の推測に過ぎないが、登りの足跡と下りの足跡では明らかに異なるように見える。歩幅は間隔が1mほども有り、何かスピードのある歩行の様にも見える。根深氏によればヒグマの仲間となるが、熊はこのような直線的な歩行は可能なのでしょうか?昨年5月 朝日連峰の雪の斜面で熊の足跡を見たが、左右に振れてこれとは全く異なっていた。

          深さ15〜20cm位と思われる                   全長30cm 幅15cm程

   

    歩幅約 1m。ピッケル60cm、定規30cm。   アンナプルナ氷河より急峻な壁を登って来たた様に見える。

   
  
                同 上               尾根を横断し、ガネッシュ氷河へ下ったように見える


■ 疑問点のまとめ

 もしイエティの正体はヒグマとすれば、次の疑問点が浮かびます。

@ 前述のとうりヒグマだとすればこのような直線的な歩行は出来るのでしょうか?

A 傾斜が60〜70°もある岩と雪のミックス斜面を自由に登下降する事は出来るのでしょうか?

B 間もなく冬眠に入るこの時期に、しかも標高5300mのエサになる物が見当たらない地点でこういう活動をするものか?

■ 過去の日本隊によるイエティの情報

*1952年 日本のマナスル捜索隊
捜索隊に参加していた毎日新聞の昨節氏がイエティの足跡を発見する。夜にはキャンプ近くでイエティらしき黒い影を発見する。

*1959年 東京大学医学部の雪男学術探検隊
エティ捜索のためネパール王国へ旅立った。標高4000m以上の高地で3ヶ月に渡り捜索を行ったが、不明瞭な足跡らしき物を発見して帰国した。住民から入手した「イエティの頭皮」の毛髪を採取し東大医学部で分析を行ったが、霊長類のものに似通っている点までは判ったが、最終的な結論は不明であった。現在はこの毛髪は保存されておらず、最新技術での分析は不可。

*
1971年 プレモンスーン/GHMJ隊
 ダウラギリ4峰登山隊
ダウラギリ山群、コーナボン・コーラ 南東稜C2(5100m)地点、距離約15m先の雪稜上に、サルでもなくクマでも無い2本足の動物を目撃。身長約150cm、肩まで届く長い頭髪。


*1975年モンスーン/ 鈴木紀夫氏
ダウラギリ山群、南東稜コーナボン側斜面(4200m)付近に子連れ5頭の類人物を望遠観察した。

*1975年/ポスト・モンスーン/カモシカ同人 ダウラギリ4峰登山隊
ダウラギリ山群、コーナボン・コーラ 南東稜上4650m地点に小型の足跡を発見。さらに内院氷河上5600mにて約25cmの足跡を発見した。

*1975年ポスト・モンスーン/日本アンナプルナサウス遠征隊
アンナプルナ内院、アンナプルナ・サウス北峰C1(5200m)地点で足跡を発見。

*1994年 1994イエティ捜索隊がコーナボン・コーラに入る。
ダウラギリ山群、コーナボン・コーラ 南東稜上4750mm地点でイエティの足跡を発見。足跡の大きさは18cmと小さかったが形状は人間とそっくりだったと報告されている。

*2002年10月 プロクライマーの小西浩文氏、イエティに至近距離で遭遇。

ソロクンブ地方、ナムチェバザール付近のゴンパ(ラマ経の寺)でキャンプ中、距離僅か1mでイエティに遭遇。「全身真っ黒、身長は私ぐらい。肩幅は私の1.3倍ぐらいはある」と報告している。シェルパから良く聞くような話だが、日本人を含め外国人でこの様な至近距離で遭遇したと言う話は他に報告されていないと思われる。

*2003年10月 「イエティ・プロジェクト・ジャパン 2003イエティ捜索隊」が足跡を発見。
ダウラギリ山群 コーナボン・コーラ 南東稜4700m付近で足跡を発見。その後人に似た3個体を遠望したと報告している。

*2008年9月 「イエティ・プロジェクト・ジャパン 2008イエティ捜索隊」が足跡を発見。
同じコーナボン・コーラ南東稜監視キャンプ(4767m)から小さく動く物体を確認したが、写真の撮影には失敗した。大きさ18.0cm程の足跡を発見するに留まった。

■ アンナプルナサウス遠征隊1975 記録写真

  

上部からC1を見る。足跡は左の急斜面を登り、右の雪壁      C1からアンナプルナサウス北峰を仰ぐ
から下の氷河へ下っているように見えた。

    

マイナーピークへ続くリッジ 下部はC2     「トサカ尾根」の攻略            困難なルート工作

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